キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

本屋

 つい先日ふらりと入った本屋で。買いたい本が見当たらなかった。壁には新書(新刊ではなく新書)がずらりと並んでて、知識人とか評論家の人たちがいっぱい本を出していて、それを見て「なんだかなあ」と思った。

 Twitterをやっていると、いろいろな知識人がそれぞれ自説を呟いたりしている。もちろん説とは関係ない日常を呟いたりもしている。日々の話題やニュースについてなんやら叫んだりもしている。で、そういう生の言葉を見ていると、ああ、なんてこの人はマヌケなんだろうとか、底が浅いんだろうとか、思ってしまう。いや、まったく僕の主観に過ぎないんだけれど。新書の棚に並んでいるのは、概してそういう人だ。そういう人たちが本を出版していてももはや読む気がしない。それはTwitterをやっている良い効果なのか悪い効果なのかよくわからないけれど、有名知識人の知識の本を買ってまで読みたいとは現時点でまったく思えなくなってきてしまっている。

 もちろん一方で無名の人の面白いつぶやきもたくさん目にしている。そういう人が本を出したなら買ってでも読んでみたいと思う。でもそういうのは本になって並んでいないのだ。残念至極だ。

 さて、話を元に戻そう。その書店で新書の棚を眺めてみて、手に取ってみたいという気分さえ起こらず。次々と生み出される新しい本の中に埋もれる感じがした。48歳になり、まあおそらく人生の折り返し地点は過ぎているだろうし、読める本の数も限られている。そんな自分が何を読むべきなのか。貴重な残りの読書体験で、何を読むべきなのか。そういう指針はこういう本屋にはもう無いんじゃないだろうか。そんな気持ちにさえなってきた。読むべき本って、中学生が読むべきと48歳が読むべきとは違うのであって、その48歳の読むべきとはいったい何なんだろうか。

 それは映画でもそうだ。結婚して、子供が産まれて、映画館に行く時間もあまりなくなった。でもそれは正確には時間が無くなったのではなくて、観たいという欲求が薄れたのだ。昔は新しい映画は片っ端から観ていた。ハリウッドの大作は一通り観ていた。DVDも3作くらいは借りて週末だけで観ていた。ヒマだったのかもしれない。いや、映画を観る程度のことで最近のトレンドというか、なにかをつかむことが出来るというのは判っている。その価値も意味も判っている。だからある程度は自分を追い込むように観ていた。でも、最近はなかなかそういう気持ちになれない。だってずっとトムクルーズかブラッドピットが主演を続けているんだもの。おまけにシュワちゃんまで映画に復帰する始末。もう映画を観るというのは彼らの仕事をフォローすることなんじゃないかって感じるようになってきたのだ。

 本もなんかそう。毎年毎年芥川賞が発表される。毎年誰か2〜3人にあげていたら、そのうちあげる対象が枯渇するだろう。でも賞あげないと売れないし、だからあげているように思えてくるのだ。それを読み続けることになんの意味があるのだろうか。なんて思う。変かなこんな考え方。後ろ向きになってしまっているのかオレは?

 でもやはりなんか読みたい。読める冊数が限られている中、本当に良い本に出会いたい。だからいい作家も知りたい。それは新人も歴史上の大家でもそうだ。日本人でも外国人でもいい。読むに値する本に出会いたい。そんな中、本屋のあるコーナーに目が行った。夢だの幻だの夜だのという文字が表紙の中心でデーンと位置を占めている。百年文庫というシリーズらしい。1文字のテーマに沿って、古今東西の名作短編が3つ収録されている。面白そうだ。そして出会えそうだ。そう感じた僕は、「都」と題した本を買って見ることにした。京都だから、都を買うのがいいだろう。そういう単純な理由である。出会いなんて単純で偶然の結果なのだから。

 「都」に収録されているのは「ギッシング」「H.S.ホワイトヘッド」「ウォートン」という3人の作家。その誰をも知らない。こういう企画はとてもいいと思う。出版社の広告宣伝に煽られるように買って読むのもいいけれど、埋もれそう(いや、僕が知らないだけなんだろうけれど)な作家を掘り起こしてもらうことでこうして出会える。つまらない作品かもしれないけれど、こうやって誰かが掘り起こしてくれたことに、僕は敬意を表したい。

 本とはこうした偶然の出会いが楽しいと思う。壁一面の新書で「知識をとりあえずつけとけ」的な雰囲気には辟易するが、こういうブラリ偶然の発見も本屋にはある。CD屋が次々と閉店していってしまっていることで、音楽とのこういう出会いをずいぶん失っているような気もする。その点京都はまだまだ恵まれていると思うけれど、どこまでこういう状況が続いていくのか、楽観出来る感じでもないような気はする。まあしばらくは電子書籍に負けずに、多くの本屋には頑張っていって欲しいなとちょっと思ったのだった。