キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

父親について

 福岡に帰省した。今回の帰省の主役は圧倒的に息子。立って歩くようになった息子は親戚のだれからも大人気だった。だが、今回の帰省で特別に印象的だったのは父親だ。僕のことではない。他界して19年になる、僕自身の父親のことだ。

 僕はこれまで母親似だと言われてきた。兄が父親似。僕自身そうだと思ってきた。結婚式の時に久しぶりに会った母の弟(僕の叔父さん)と瓜二つだった。間違いなく母親方の血が濃く反映しているのだと思っていた。でも今回、僕が父親にそっくりだと言われた。そんなことを言われたことはかつて無かった。だが、わずか3日の今回の帰省の中で4人に同じことを言われた。「お父さんに似てきたね」と。それはとても不思議で感慨深い体験だった。

 息子は僕に似ているとよく言われる。ほとんどの人がそう言ってくれる。そう言われるとなんか嬉しい。だが、僕自身にその自覚は無い。息子と自分が似ているのか?一体どこが?その程度だ。だから自分が亡き父親に似ているということも、自分ではピンとこない。まったく実感が無い。自分の姿は自分にはよくわからないものだ。日々、近くにいても見ていない。それが自分だ。

 父が生きていたら、どんな老人になっていたのだろうか。他界した時と表情は違っていたのだろうか。そんなことを言っても詮無い。似ているという僕がなんとか長生きをして、父が生きていたらこんな感じだったんだろうなということを身を持って示したいと思う。また、母によれば父は子煩悩だったそうだ。だから孫が出来たらきっと溺愛しただろうと。でも父は孫の顔を見ることは出来なかった。僕の子供だけじゃなく、兄の子供にも会えていない。そもそも息子の奥さんにも会えていない。それが幸せのすべてとは言わないし、太く短い人生というのもあるとは思う。だが、子煩悩ならちょっと残念だったろう。それも僕がやらなきゃと思う。48での子供だから少々ハンデはあるかもしれないが、孫の顔を見るくらいまでは生きなきゃなと思う。もちろんそれが目標というわけではないけど。

 福岡から帰る時、母は僕らを博多駅まで見送りにきた。途中タクシーの中で「昇ちゃんに靴買ってやりたい」と言い出し、駅にある阪急デパートのキッズ売り場に向かった。いつも孫によだれかけや服を縫って沢山送ってくれる母。でも孫と一緒に孫のものを買いに行くというのはやはり格別のように見えた。そういうことが出来るというのが、そこそこ長生きした者の特権だ。早く死んだらそんなことは出来ないぞ。まあ、長く生きたところで息子がなかなか結婚してくれなければ出来やしないのではあるが。