キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

祭りの後

 19日に1歳になった息子の誕生日を祝う会を、京都の料理屋で開いた。福岡からおばあちゃん、松阪からはおじいちゃんとおばあちゃん。大阪からはおばさん(僕の義理の妹)が駆けつけてくれた。それに僕ら夫婦と主役の息子。

 福岡のおばあちゃんは昨日から京都入りし、孫との触れ合いを1日かけて深めていた。今朝も9時過ぎにはマンションにやってきて孫をだっこして、抱っこされる側もすっかり慣れて楽しげに過ごしていた。息子、あまりに楽しげにはしゃぐものだから疲れてもいたのだろう。そもそも日頃午前の昼寝をする時間帯に松阪のおじいちゃんが登場し、突然のギャン泣き開始。僕が抱っこしても泣き止まず、これから料理店に行くというのにこりゃ困ったなと思っていたものの、泣き止まないのでとりあえず寝かすことに。布団に置いて背中をさすってやっていると10分ほどですやすやと寝始めた。30分くらいで起こさなきゃいけないから可哀想だなと思っていたけれど、可哀想なのはわざわざ150kmほど運転してやってきたおじいちゃんの方だ。おばあちゃんに「おじいさんは恐いのよ。ちょっと見えないところに座ってて」と言われてしまった。大人相手なら反論も出来ようが、泣く子には勝てない。義理の息子としてなんとかしたいところではあるが、何とも出来ないというのが正直なところだ。ま、それも赤ちゃんとの付き合いということなのかもしれない。

 で、そろそろ出発の時間。息子を起こすと、意外にもけろっと。30分の睡眠で復活出来るとは赤ちゃんのパワーはあらためて恐れ入る。機嫌が変わらないうちにさっさと出発。木屋町の料理屋に到着。家族全員料理を楽しみ、息子1歳も食べられそうなものを少しずつお裾分けしてもらった。大変堪能した。で、最後に残っていたのが餅踏みの儀式。一生食うことに困らないようにという願いを込め、一升の餅をわらじを履いた子供が踏むということで、出町ふたばで注文していた一升餅を取り出して、わらじを履かせてその上に立たせる。踏むというより乗せるという感じだったが、それをやるためにみんな集まってくれたのだから、なんかしらないけれども家族大盛上がり。

 息子がこれで一生食いっぱぐれなくいけるのかどうか、神頼みという意味でいえばそこに裏付けはないんだろうと、さほど信心深くない僕は思う。やはり実力をどう磨いていくのかということが不可欠なのだ。だが、こういう神事をするということをきっかけに、おじいちゃんおばあちゃんが集うということが大事で、そういうことで多くの愛情を受ける存在になっていく。愛情ある家族に恵まれれば、いざという時に頼れる存在もあるということであり、つまりはメシぐらい食わせてくれる人がいるという、そういうことになるのだろう。実際結婚式以来4年半会っていなかった両家の父母が、孫が産まれたことによってまず出産時に再会し、お宮参りの時に再会し、今回また1歳の誕生日の時に再会した。自分の足で立つことがまだ出来ない赤ちゃんなのに、家族をより強く結んでいく力を持っている。孫のためなら何でもしてやりたいと思っている人が少なくとも3人いる。その3人がこうして仲良くなっていくことで、その家族の一員としての1歳児は、メチャ明るい未来が約束されるとまでは言わないにしても、それなりに見守られた、家族に恵まれる人生を送ることがしばらくは約束されたという感じになっている。それは大きいことだと思う。

 その会が終わり、福岡や松阪や大阪に家族は帰っていった。僕ら夫婦と息子の3人もマンションに帰宅し、普通の生活に戻ろうとしている。朝7人がいた僕らのマンションに、今は3人だけだ。疲れたのか、息子も奥さんもはやばやと寝てしまっている。このブログを書きながら、お祭りの後の寂しさのような気分にひたってしまっている僕である。