キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

もてなし

 今年は京都の桜が綺麗だった。桜の名所はたくさんあって、名所じゃないところの桜もかなり美しい。京都にはいったい何本の桜が植えられているのだろうか?

 そんな京都の桜を見て歩く僕だが、京都に移り住んでまだ2年。桜のシーズンは2回目なのだ。観光で京都の桜はけっこうハードルが高い。休日に限れば年に4日ほどしかチャンスはない。そしてそこをめがけて日本中からやってくる。宿が取れないし、取れてもバカ高い。というわけで、そんなに京都の桜を知り尽くしているわけではない。でも人は僕に桜観光について聞いてくる。住んでるのだから詳しいだろうと。いや、そうじゃないのだ。詳しくなんてないのですよ。でもそうは言いたくないし、ちょっと背伸びして知ったかぶりをする。良いところを案内したいと思って苦労する。

 今年はまず福岡の母が来た。孫に会いに来たのだが、観光もしようと。例年になく桜が早かったので桜も見られるかなと。まあそれは僕が勝手に思ったのだが、それでギリギリまで観光コースが定まらなかった。

 結局、京都御苑北側の枝垂れ桜と、醍醐寺霊宝館の枝垂れ桜を見に行った。ともに見事。こんなに枝垂れ桜が素晴らしいのならと、龍安寺の壁にかかる枝垂れ桜もイイかなと思って勇んで行ってみたところ、まったく咲いていなかった。自然は難しいよ。

 それから二週間ほどして、僕が京都の桜をFacebookに載せていたら、高校時代の友人が京都の桜を弾丸で見に来たいと。スケジュール的に会うことにはならなかったが、僕なりのオススメをいくつか教えた。するとその人のウォールには「感動、ずっとこの景色を眺めていたい」と。その場所はザ観光名所的な誰もが知っている場所で、僕には今さらな感もあるのだが、友人のその言葉を見て、ああ、そんなに気張って穴場をなんて考えなくともいいのかなあと思わされた。

 どんな珍しい場所でも、何度も行けば珍しくなくなる。そうして価値を忘れがちになるのだけれど、初めて行く人にはやはり珍しい場所なのだ。奇を衒わずに、自分が初めて行った時のワクワク感を忘れないようにして考えることこそ、すべてのおもてなしの基本なのかもしれない。

 そういえば遡ること約一ヶ月、思いも寄らず外国人の方を京都案内することがあった。清水寺に連れて行くと、参道の賑わいの段階ですでに「マーベラス!」を連発。花見小路を抜ける時に瓦屋根に飾ってある鍾馗様をリトルゴッドだと教えてあげると、「リトルニンジャじゃないのか??」と大はしゃぎ。楽しめてもらえて良かったよ。珍しいものが良いのではなくて、楽しいことが何よりなんだと、その時も思ったんだった。