キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

20周年に向けて

 昨日はキラキラレコードの創業19周年記念日だった。淡々と仕事をするばかりで特にお祝いなどをするということでもなく過ごした。そして今日も同様に淡々と仕事をしている。

 だが、心の中では燃える気持ち満々なのだ。

 今年の初めくらいからアーチストの関係性やレーベル活動の重点などを見直して、もっとも結果につながるバランスを探してきていた。もちろんそんなものは時とともに移ろいゆくものだし、究極の完成などは無いのだが、現状のキラキラと音楽シーンなどを考えた時に見えてくる「これだ」というものを実現できているように思っている。現にリリースされてきたアーチストの顔ぶれなども徐々に充実してきて、勝負を賭けていけるようなラインナップになりつつあると自負している。まさに、キラキラレコード20周年を飾るに相応しい結果を出すためのチーム編成が固まりつつあるということなのである。

 そのバランスとは何か。細かいことまではいえないが、レーベル側の思いとアーチスト自身の思いを合わせていくということが基本である。これまでも、「こいつらはスゴイ」と勝手に評価して、それで一緒にやっていこうと手を携えたことも何度もあった。だが残念ながらそういうものが結果を出してきたとは言い難い。もちろんまずはキラキラの実力不足というものは否定出来ないしするつもりもない。だが、同時にアーチスト自身の思いというものは一体なんだったのかという疑問も残るのである。どういうことか? ミュージシャンは多くの場合自己満足を第一にしている。しかしCDやライブのチケットを買ってもらうということは、リスナーの満足を第一にしていく必要もあるのだ。だから少々の苦労も必要になってくるのだが、その苦労をするよりも自分たちにとって楽しいことを優先しがちである。だが、それでは伸びない。万が一の例外はあるだろうが、それを期待するのは宝くじで生活しようというのと同じで、戦略とは言えない。常時安定経営をしていかなければいけないのであり、超ラッキーではない状況やアーチストであっても戦っていく、そして勝っていくことを図っていかなければいけないのである。だとすれば、尋常ではない頑張りをアーチストがしていく覚悟を持っていなければいけない。そしてレーベルは何よりもそこを第一に見ていかなければいけないのではないかと思っているのである。多少なりともセンスのかけらを感じさせるようなバンドは、周囲からチヤホヤされたりしているから、そのことに胡座をかいていることが多い。だがそれではだめなのだ。小学校でトップだったとしても進学校に進んだら劣等生というのと同じで、ライブハウスのブッキングにしか出ていない程度の状況では、圧倒的に他のバンドに打ち勝っていかなければ、それをセンスとか才能とは言わないのである。それを勘違いして、いい音楽を作っているだけで売れるんだとか思っていたのでは結果など出せない。ましてや、アーチストよりは客観視が出来るレーベルの側が、50歩100歩のセンスや才能を過大評価してのめり込んでしまうのは有ってはならない過ちなのである。

 そのことに、今更ながら思いを致し、そして今年多少なりとも業績を回復させ、今に至っている。業績の回復はそれほどのタマがなかった1年前に比べ、そろそろ勝負をしていけるような状況に育ってきた数組と、そこまでに追い込んでいきたい数組が現れてきているというのも、今後に期待出来る理由の一つである。あとは、レーベルサイドの力が試されるのだろうと思っている。アーチストに努力を強いている以上、レーベルが更に努力をしなければいけないのは当然のことなのだ。そしてその努力などによって、この1年を充実させたものにして、来るべき20周年を文字通り記念すべきものにしていきたいと心から思うのである。