キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

インフル被害

 神戸では安心宣言が出された。安心ってなによ、と思う。成田での水際検疫の時も仰々しいなあと思ったし、それで大して効果はないぞ、すぐに国内感染は広がるぞと思った。

 それで案の定ガンガン広がった。エキセントリックなパフォーマンスは「そんなにひどい病気なんだ」というイメージを振りまき、感染者に対してイジメにも似た過剰な反応が起きたひとつの原因にもなったと思う。つまり感染拡大防止効果のほども疑問だし、それによって生まれる風評被害を拡大させたという意味でも疑問の対応だったと思うのである。

 今回の安心宣言にも、安心できる根拠というものがそれほど感じられない。初めて感染者が出てから数日はかなりの人数で発症者が出たが、その後は数も少なくなってきて、この数日は0人の日も多いんだということが安心の理由ということだが、じゃあ成田で最初の感染者が出た時に何日間隔離したんだということ、万全を考えて潜伏期間以上の日数を成田周辺のホテルに隔離して、家族も窓越しにメモでやり取りしなきゃいけないようなことを強いていたのはなんだったんだとか、思うのである。

 しかし、今回の安心宣言には、根拠はなくとも意味はあると思う。それは、今回のインフル騒動で何が起ころうとしているのかということである。関西地区の経済被害はとても大きかった。商売は日々の資金繰りが生命線で、その中で予定していた売り上げが数日無くなってしまうということは即倒産につながってしまう。そうなってしまうと、そのおかげで自殺に追い込まれる人だって出てくるだろう。経営者もそうだし、失業する従業員だってそうだ。今回のインフルが弱毒性であり、国内の死亡者が皆無だということに較べると、経済混乱を理由とした死亡者が出る可能性の方が高いといえるし、そのバランスを考えて、無理矢理の安心宣言なのだろう。それはとても意味があることだと思うのである。

 もちろん、高齢者や高血圧とか糖尿病などの持病があって、感染すると重症化する危険性を持っている人やその家族などからすると、この安心宣言によって人間の動きが活発となり、自分が感染する危険性が高まるということを意味しているので、もっともっと慎重になって、安心宣言などまだまだ出さないで欲しいという声があったとしても不思議はない。だがそれも結局は、隔離や学校閉鎖などの効果も100%ではないのと同じで、完璧な対応策などは、それこそ戒厳令などを敷く以外にはありえない。それで慎重になって行くことで別の危険性が生まれるということになるのであれば、市長としては、ある程度の危険を覚悟してでも安心宣言を出す必要があったんだろうなと、その立場や心情はとても理解できるのである。

 それと時を同じくして、現役厚労省の検疫官が「今回の成田での水際検疫はパフォーマンスに過ぎない」などと疑問を呈したというニュースもある。この人の態度はどうなんだろうかと思う。ネットでも賛否両論あって、「勇気がある」とか「厚労省で唯一の希望の光」というようなものから「この人は感染症の知識が皆無だ」というようなものまで、見ていて面白い。この人の思想とか態度とか価値観とか、そういういろいろなものは彼女特有のものであり、それはそれで尊重されるべきだと思う。だが、なんか違和感を感じるのである。

 僕がそう感じるのは、基本的に彼女がまだ厚労省職員であるということが理由なんだろうと思う。言うなら外に出て言えば良いと思うのである。元自衛隊航空幕僚長の田母神俊雄氏は最近メディアで引っ張りだこだが、彼がまだ自衛隊に属している間はやはり彼の発言には違和感を感じていた。なぜなら彼が組織に属して給料をもらいながらも批判をその組織に向けていたからである。一般の会社でもそうだが、国家公務員は特に自らの意見を組織の論理に優越させてはいけない。それが許されたら国家機能はストップしてしまう。どんな政策もアイディアも完璧なものなどないのであって、だから文句をつけようとすればいくらでもつけられるのである。今回の空港検疫がパフォーマンスかどうかの論議は別として、その職にあるものは大臣をはじめとしたトップが決めた政策の実行については絶対として動かなければダメなのだ。現在官僚の天下りが批判されていて、政治の側が頑張ってそれを阻止しようとしているのに一向に止まらないのは、結局国家公務員が政治家の方針に反対しているからなのだと思うが、今回の厚労省職員の疑問表明を是とするならば、田母神氏も自衛隊を辞める必要などなかったということになるし、官僚の天下りも全部OKということになるだろう。彼女の意見を民間人が「確かにパフォーマンスだよね」と同意するのは構わない。それはそれで単なる議論だし意見表明だ。その自由は日本国民に保証されている。問題の木村氏にもその自由はあるのか。当然ある。だが、木村氏がその自由を発揮するのであれば、国家公務員でないという立場にならなければならないはずだし、そうでなければ説得力もなく、単なる新橋飲み屋のサラリーマンの愚痴大会となんら変わらない、無価値な発言に過ぎないと思う。