キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

労働力とレッテル

 労働者の格差が広がっていると言われている。確かにそうだと思う。正規と非正規の格差は激しい。かなり以前なら「正社員になると自由が利かないから」とあえて非正規を選んだ人(劇団員やバンドマンなど)がいたので、自由を得るのだから所得に格差あっても仕方ないよねという理屈も成り立ったのだが、今や正社員になりたくてなりたくて夢なんてまったく見ませんよという人まで就活で落ちこぼれ、派遣やバイトという名の非正規労働を余儀なくされている。もはやこれは社会制度の域に達している。何パーセントではなく何割という世界なのだ。

 しかもこの社会制度、一度非正規になると正規になるのはかなり難しい。しかもこんどは派遣で働くのは3年が限度という法律になるそうだ。これは3年派遣で働かせたらいい加減に正規雇用にしなさいというのが一応の建前。しかし正規雇用に出来るのなら雇用側も最初からやっているだろう。派遣というシステムが楽だから、責任を持たなくていいから、派遣を使っているのだ。現実問題としては派遣3年満了する手前で雇い止めをするケースがほとんどになるだろう。結果として非正規労働者は3年分の経験しかつむことができないし、雇用側も3年でオサラバの労働者にはそれなりの仕事しか与えない。経験の点でもますます格差は広がっていく。

 と、ここまでは労働者側の立場の話。だが雇用側にも理屈はあろう。労働者というのはやはり財産だ。誰を使うかが業績の明暗を分ける。野球でも誰をレギュラーにするかでチームの成績は大きく変わるのだ。自分の首がかかっているのだから監督も非情な采配を振るわなければならない。企業の人事も同じことだ。

 以前僕が求人をした時、面接を重視して学歴などにこだわらなかった時期がある。で、高卒の人を採用したことがある。結果として、それはたまたま偶然なのだろうとは思いたいが、哀しい結果に終わってしまった。詳しい経緯は省くが、その時に「ああ、高卒の人を採用したからなのか」という気持ちが広がった。

 もちろん大卒であってもいい加減な人はいるし、高卒中卒であってもちゃんとした人は少なくない。だが、大卒を雇って失敗した時に「大卒を採用したからダメだったのか」とは思わない。なぜならそれ以上の条件は無いからである。大学院卒があるだろうというかもしれないが、大学院卒の方が労働者として、人として優秀であるということは考えにくい。だが大卒の方が高卒よりもちゃんとした人の割合が多いというのは考えうることだ。その厳密な意味での正否は別としても。

 繰り返すが、もちろん大卒にもいい加減な人はいるし、高卒でもちゃんとした人はいる。だがそれを判別する方法はあるのだろうか。あると思い、若い頃の僕は高卒の人もおおいに採用した。だが、結果失敗すると「オレの見る目は無かった」ということになり、安全策として大卒だけを採用するという気持ちになってしまう。それでも失敗する可能性はゼロにはならないのだけれども。

 ここで言いたいのは、どんな人にも歴史があり、その歴史の一部をもってレッテルを貼られるということである。高卒の人は高卒というレッテルでひとくくりにされてしまう。中卒の人なら中卒というレッテルがついて回る。そこから逃げるには大学に行くしかないのだが、ある程度の年になってからはそれも大変だ。だとすれば、そのレッテルで括られるグループに属している人は、自分だけのためではなくそのグループにいる人全員の為にも、一生懸命にきちんとした生き方をしていかなければならないということだ。何人か採用した高卒の人がきちんとしてさえいれば、僕も落ち込んだり、「やはり大卒じゃなきゃダメだな」なんてことは考えもしなかっただろう。でも誰かがいい加減なことをすると、「やっぱり○○だからダメだ」という先入観を植え付けられてしまう。

 今ネットでは若者のバイトがいい加減なことをして、さらにはネットでそのいい加減なことを自慢するかのように写真をアップして炎上したりしている。あれは「若者」というグループのことを貶めているなあと思う。もちろんあれはごく一部のバカどもがやっていることであり、それをして若者全員がそうだということではない。だが「ごく一部はあんなことをするんだ」という気持ちを雇用側に植え付けることは間違いない。したがって若者の雇用が厳しくなる。今は30代40代のフリーターも少なくない。3年という派遣労働制限が実施されれば、今以上に50代60代のフリーターだって労働者市場に出てくる。そんな時に「若者」のごく一部がそういうとんでもないことをやらかす恐れというのは、若者を雇用する上でのリスクになる。

 若者は労働の上でも教育環境の上でも、社会保障の上でもかなり不利な状態にある。そしてさらにそういう一部の不心得者によって自分たちの首を絞めている。ただでさえ国内の労働力は機械による自動化や海外製造によって要らなくなってきている。責任のある仕事が若者に回ってくる可能性は減っているのだ。そのことを考えると、バカ発見器に引っ掛かった不心得者に対し、老人が眉をひそめる前に若者自身が徹底的にその不心得者を非難しなければならないはずだと思うのだが、現実はそうなってはいないようだ。自分たちには「若者」というレッテルが貼られており、そのレッテルのカテゴリーにいる人間の不心得は自らの脚をかなり強烈に引っ張っているという現実に意識があまり回らないように見える。