キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

家族

 先月末に退職した友人が、家族と食事をすることの重要性についてつぶやいていた。退職したから会社に行くでもなく、小さな自分の会社を立ち上げるためにいろいろと自宅で勉強しているのだそうだ。それで3度のご飯を家族と食べる。その当たり前のことがどれだけ大切なのかあらためて理解したという。

 僕も毎日家族と一緒にご飯を食べる。さすがに平日の昼は別々だが、今はお弁当を作ってもらっているので、気分は一緒の食卓だ。もちろん1歳1ヶ月の息子は離乳食を食べているわけだし、奥さんが僕のお弁当と同じものを食べているとは限らない(おそらく違うだろう)。でも気分は自宅の食卓だし、それ以外はほぼ、3人で食卓を囲んでいる。

 家族って何だろうって考える。

 今朝、広島の追悼式を見ていたら、小学生の男女がスピーチをしていた。先生に文章を読まされてる感は否めなかったが、「当然帰ってくるものと思って送り出した家族が帰って来なかったと祖母に話を聞いて怯えた」と言っていた。それはテレビの中の話なのか。古い歴史の中の出来事なのか。確かにそうだ。でも311を経験して、そんな遠いどこかの悲劇がいつ自分の身に起きるのかは判らないということを実感した。僕らはその延長線上に生きている。少なくとも僕はそうだ。

 家族とは、いつもそこにいるのが当たり前だと思っている。だが当たり前なんかではなくて、毎日一緒にいられることが、とても幸運なことの積み重ねによってあるんだと思う。広島の少女の祖母だって、当たり前に思っていた日常が原爆によって突然終了させられたのだ。まさか原爆が明日京都に落とされるとはさすがに思わないけれども、それに準ずる、自然現象的な何かが起きないとは誰が断言出来ようか。

 ニュースは今日も悲劇を伝えている。悲劇の登場人物には申し訳ないし可哀想だが、まずは自分と家族にそれが起きなかったことにホッとする。その上で、今日も家族でご飯を食べられることに感謝したいと思う。まあ普段はそんなの忘れて無意識に過ごしているわけだけれども。

 友人がそういうことに気付いたのだとしたら、それは幸せなことだったのかもな。仕事上でも大きな転機だったはずだが、それ以上に人生の転機になったんじゃないかと、友人としてもちょっと嬉しい。