キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

批判について

 選挙が終わってしばらく経つ。それは選挙前からずっと続いてきたことであるが、当選した山本太郎についての批判は今も止まない。

 彼の主張がどうだということはとりあえず置いておいて、その主張について僕が賛成なのか反対なのかもここでは置いておきたい。一応軽く言っておくと、賛成のところもあり、反対のところもあるという感じだ。それはほとんどの人に対してそうだ。100%一致も、100%不一致も有り得ないと思う。

 僕が現時点で支持していない2つの政党から、高校時代の同級生が2人国会議員として頑張っている。うちひとりは今回の参院選で当選した人だ。支持していない政党から出ているという時点で、同級生であっても政策の支持はしない。だが政策の支持をしないからといって同級生でなくなるわけではないし、同級生が頑張っている姿を見るのは良いことだと思う。だから、頑張れと言いたい。頑張ってもらうことで僕が支持しない政策が推進されることにもなるのかもしれないが、それでも同級生には頑張るなとは言いたくない。やはりかけるならば言葉は「頑張れ」だ。

 で、山本太郎。頑張って当選した。良いじゃないかそれ自体は。しかし批判は今も止まらない。これは一体なんなんだろうかという気がする。

 思うに、それは山本太郎に頑張ってもらったら本当に心底困るという人なのだろう。他にもたくさん国会議員はいるだろうし、それぞれの議員について快く思っていない人は少なからずいるだろう。なのにそういう人たちへの批判はあまり表に出てこない。出てくるのは山本太郎への批判ばかりだ。それなりに政策に対する論拠ある批判ならばまだいいが、そういうのとはまったく違う人格攻撃のような批判もかなりの割合見受けられる。

 これは山本太郎に頑張られたら困る人がかなりいるということでもあるのだろう。具体的に批判を口にしている著名人や知識人たちももちろん、そういう人たちを背後で後押ししている人たちも相当数いると思われる。何がそんなに困るのだろうか。反原発山本太郎がひとりで頑張ってみたところで、他の議員が同調しなければ法律を変えることなど不可能だし、彼ひとりの力では原発は止まらない。そんなことは明らかだ。彼を批判している人の考えが仮に正しくて、彼以外の議員に批判している人が考えているような分別があれば、原発に関することの大勢はまったく変わらない。それなのに困るのは何故なのだろうか。

 思うに、国会議員でなければ知ることの出来ない情報というのがあるのだろう。そこに彼のような人間がアクセスし、その情報が公になることが大変困ることなのではないだろうか。秘密にしておきたい、隠しておきたい何かがあって、それを職業政治家だったら他の様々なことと天秤にかけて「じゃあそこは触れないように」ということも出来るのかもしれないが、山本太郎はそういう政治屋の処世術は持ち合わせていない。事実はどうか知らないが少なくともそう思われているし、やらなくてもいいことに首を突っ込んできて自分の主張を続けている。そういう人が議員のみが知り得る何かを知ることが、とても困るのではないだろうか。

 僕は東京に選挙権はないので彼には票を投じてはいないし、もし東京に住んでいたからといって彼に大きな期待をして投票をしたかと言われれば甚だ疑問だ。しかしながら、彼がここまで批判されているのを見ると、どうにも判官贔屓な性格が刺激されるのも事実。彼に大きなことが出来るのかどうかはまったく未知数だが、そんなに大きなことなど出来なくとも、風穴を開けるような正解のスズメバチのような存在としてとりあえずこの6年を過ごして欲しいと思う。それはある意味支持政党ではない党から国会議員になったかつての同級生へ期待するのと同じ程度の期待である。まあとにかくやってみろよと。組織もないところから頑張ったのだし、それなりの支持も得て国会議員になったのだ。何もしないうちから政治家の資質とは関係ないところで足を引っ張るようなみっともないマネは、もうみんなやめたらどうだという気がする。