キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

愚(政)策にて

 昨日のニュースで思うのは、政策とはなにかということ。

 そう思うきっかけは、定額給付金の決着点と、田母神氏の参考人招致。定額給付金の問題はとにかく迷走してきた。これ、景気対策として打ち出したということだが、野党からは「国による票の買収だ」とも言われている。その論の正否はともかく、麻生さんの気持ちの中に緊急景気対策をしなければという思いがあったことは間違いないだろう。しかし、一旦発表してしまってからいろいろな意見が出てきて、それで迷走していったわけだ。ここで思ったのは、どんな政策も出発点は割と純粋なものではないかということ。でも周囲からいろいろな意見が出てくる。それらはほとんどが全体とか根本ではなく、自分の立場からみた木を見るような論だということ。今回だってそうだ。与謝野さんの言っている「高所得者にまで配るというのは法としておかしい」という意見も判らないではない。しかし今回の対策がそもそも法としておかしいことであって、それでも超法規的になにかをやらなければいけないというところから出てきているということを考えた時に、自分の意見がこの政策を足もとからストップさせてしまうということについて判らなかったのか、そしてそうなったら麻生さんの支持率が下がることになって、結局は自分の選挙も危うくなるんだということに気が付かなかったのか、それがすごく不思議である。判らなかったのなら耄碌という言葉しか当たらず、もう引退して欲しいと思う。まあそれだけじゃなくて、意図と違うリークも含めて多くの足引っ張り現象が与党内から出てきていて、これが麻生内閣の脆弱さを示しているし、国民もそれを感じ取っている。もちろん僕もそうだ。

 ではどうすれば良かったのか? どんな意見を言っても批判は出てくる。だとすれば方法論はたった2つ。何も言わないか、さもなくばすべての批判を聞かないか。まあ総理大臣に何も言わないというオプションはそもそもないから、すべての批判を向こうに回しながらも持論を押し通すということしか、政治家のトップには残されていないと思う。小泉さんが人気だったのもそういう態度だったからだと思うのだが、麻生さんはいろいろな意見を聞いてしまうし、聞いてしまって足踏みしているということが誰の目にも明らかなのに、「いや、俺はそもそもこういうことしか言っていないよ」みたいな開き直りをしてしまう。だから「あ~あ」という感じに映ってしまうのだな。自分の意見に反対するヤツは全部抵抗勢力だと小泉さんの決め台詞をパクって、与謝野さんとかも更迭し、抵抗する官僚も更迭し、自民党議員も次の選挙で公認せずに、推し進めちゃえばいいのになと思う。それがどういう政策であって、世論的に人気か不人気かとかは関係ない。それが独裁政治で悪魔だと言われても耳を貸さない。そういう感じでいかなければダメなんだろうと思うけれど、やはりそれをやるには信念が必要なのだろうし、そういう信念を持っている政治家はそうそう残っていないんだろうなということが、なんとなく将来の不安とかにもつながっているような気がするのだ。

 

 そして、田母神氏の参考人招致。本当は生中継で見たかったが、残念ながらニュースでのダイジェストを見る。この人、言ってることは非常に危険だと思う(説そのものというのではなく、自衛隊幹部という立場で何を言うべきかということについての感覚が危険だと思うのだ)が、しかし信念は持っている人だなと思う。更迭されてもなお言を曲げず、参考人になっても持論をガンガン言う。批判されてなお堂々としている。こういう人は久しぶりに見たなと思う。で、この人を定年退職として更迭した理由が「もめるのが長引くといけないと考えたから」というのも変だし、「自説を生中継で述べられたら困るから」テレビ中継をやらないというのも変だと思う。なにを隠そうとしているのか。韓国や中国、そして逆に国内のタカ派の人たちからいろいろ言われるきっかけを与えたくないというのだとしたら、覚悟のない政治だと言わざるを得ない。そういう人たちはいろいろな方法で内容はチェックするし、それを止める方法など無いのだ。そのあげくに「退職金は返納して欲しいとお願いしたい」とか訳のわからないことを言う始末だし、それに対して「生活が厳しいから有難く使わせてもらう」という田母神氏の言葉はいかにも皮肉っぽいなと感じる。

 僕が思うのは、田母神氏は国家の官僚であり、そういう立場の人が国のトップとは違う意見を堂々と言って、部下の教育でも国の方針と違う内容を平気でやっているということ。これが一体どういうことなのかということである。ある意味、革命行為だ。これを国家反逆罪として取り締まることだって可能だと思う。226事件とあまり変わらない。武力に出るのか、それとも教育の面で行うのかという違いで、言論の自由というものとはまったく違う。ジャイアンツの選手が「子供の頃からのタイガースファンだったんだ。だから決戦の時にわざと三振をしてタイガース優勝を願ったんです」なんていったら、それも自由なのだろうか? いや、自由だ。基本的人権としては自由だ。しかしそういう選手はジャイアンツの選手として明らかに不的確であって、だったら退団してからファンを名乗れよと言うことになるだろう。そもそも乱闘になった時にベンチに残っているだけで、野球では罰金である。それを、日本国家の自衛隊の最高幹部が、政府見解と違った意見を持って、その意見に基づいて教育をしているということが大問題である。

 しかし、そういう人をまともに処罰できない。これは今回の問題だけではなく、政治をバカにして従わない官僚という意味でいうと、もはや日本全体の闇なのだろうと思う。もちろん彼らの中には二世三世やタレントで占められている政治家なんかより官僚の方が賢く、日本をよく導けるという自負があるのだろう。それはある意味そうだ。間違っていないと思う。しかし、だからといって官僚が政治を無視し始めたとしたら、それは民主主義というものを根底から否定することであり、例え政治家がバカであったとしても、民主主義を根底から否定することはあってはならないことだと思う。田母神氏は自衛隊だから特に恐いと思うが、そうでなくても財務省とか経済産業省なんかでも、やはりそういう意識が蔓延するのは非常に恐いことだと思うのだ。

 

 現状では政治が官僚をコントロールするということが出来ていないし、それは結局は政治家、それも政治のトップに持論とか、それに対する覚悟を持っていないということに起因するのだろうと思う。民主党に変わったらバラ色だとか、そんな甘いものではないだろうと思う。しかし、少なくとも政権が交代して、何らかのショックを与えることによって、もっともっと政治家の人たちが与党野党含めて真剣になり、その結果覚悟ある国家運営につながりやしないかというちょっとした希望を持ったりするのである。