キラキラ大島雑記帳

インディーズレーベル『キラキラレコード』代表、大島栄二の日記です

2012

2012年を振り返る。

ある意味、激動の一年だった。生涯で二度目の、福岡に帰らない新年を京都で迎えた。妊娠していた奥さんの体調を考慮して、移動を控えていたところ、さらに体調が悪くなり安静に。だから結局福岡に帰ること自体がなくなるという2012のスタートだった。

友人の突然の死もあった。酒の席でのイザコザで殴りあい、転んだ際の打ちどころが悪くくも膜下出血であっけなく。その前には別の親友もくも膜下で倒れ、手術。こちらは幸いにも命はとりとめたものの、リハビリなどを兼ねて実家に戻ることに。何が起こるか判らないなと感じさせられた。

そして何といっても6月の長男誕生。大げさなステレオタイプ的なことではなく、地味に確実に人生観が変わった。子どものパワーってすごいと思う。いやまったく。

振り返るってなんだろうな。出来事を列記するならいくらでもできる。でもそんなのは振り返るとは言わないような気がする。

2012年が終わろうとする今、紅白を観ながらふと考えた。実家の食卓には母と兄夫婦と甥っ子姪っ子。それに僕ら夫婦と長男の、合計8人が集っている。今はもうそれが当然なんだけど、この家を建てたのは今は亡き父であり、この場所は父と母と、兄と僕の4人の場所だった。いつも父が座っていた辺りに僕が座ってしまっている。僕が政治に関心が深いのは明らかに父の影響だ。当時は自民が政権を追われるなど考えもしなかった時代で、山崎拓を応援していた父は、生きていたら今の政治状況にどんなことを言ったのだろうか。そのことを、自民党支持の父と話してみたかった。

父が肺がんで危篤状態になった晩、母は病院に泊まり込んだ。だから僕は兄と2人で食卓にいた。何故か僕が晩飯を作って、一緒に食べた。ちゃんとした礼服も持ってなかった僕らは、いざという時のために準備しておかなければいけなくて、でも準備するのも不謹慎な気もしたし、そんなことを夜通しずっと話していた。それが、父がまだ生きている最後の晩になった。

そんな食卓に、今は三世代が8人で集っている。不思議だな。8人の主役は生後半年の長男で、代わる代わるに抱っこされたりしている。幸せの象徴のような存在だ。父が存命の頃には考えもしなかった光景が、幸せの色を帯びて展開している。不思議すぎて涙が出そうになったよ。このことを、父が生きていたらどう思っただろうか?それとも政治談義の方に熱を上げただろうか?

世代が移り、顔ぶれが変わる。それはごく自然なことだ。でも、今は一人欠けることも想像出来ないこの8人の家族がここにいることは、自然でも何でもなく、むしろ奇跡的な何かだと思う。長男が生まれて以来感じていることは、僕ら夫婦のDNAが組み合わさってひとつの命が誕生したという科学的な話ではなく、魂として浮遊していた長男が、僕と奥さんのところに狙いを定めてやってきたという、そんな非科学的な運命論である。だから、僕ら家族も偶然の組み合わせでここにいるのではなく、必然的にここに集うようになっていたと、そんな風に感じているのだ。

さて、2012年ももうあと1時間を切った。今僕はその食卓を離れ、実家の寝室に長男と2人でいる。生後半年の赤ちゃんに夜更かしなどさせられぬのだ。だから大人が1人付いているわけで、さっきまで寝かしつけてた奥さんと交代し、長男の横で転がりながらこれを書いている。階下の食卓では年越しそばの準備が始まっているのだろうか?父存命中に食卓を囲んだ4人のうち2人が不在で、6人の家族が楽しくやっている。奥さんには、1年前には家族としての血縁関係はなかったが、今は隣に寝ている赤ちゃんのおかげでれっきとした血縁者だ。いや、血が重要なのではなくて、いろいろなことがあって、家族は家族になっていくわけで、僕のいない食卓で飯食っているこの瞬間というのも、奥さんを家族にしていっているのだろう。

なんかまとまりがなくなってきた。まとまりをつけるためには、あと50分を切った残りの2012年はあまりにも短い。来年はもっとまとまりの有る文章をスラスラと書ける自分になりたいと思う。

年越しそば、僕の分は残っているのだろうか?